さくさべ坂通り診療所 がんのホームドクター

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♯02 さくさべ坂通り診療所音楽ボランティアとして

〜さくさべ坂通り診療所音楽ボランティアとして〜

 私が、このボランティアをしたいと思うようになったきっかけは、子供の頃から漠然と病気の方や、体の不自由な方のためにピアノを弾きたいと思っていたこと、そして、音楽療法士の親友をがんで失ったこと、その悲しみの中に始まりました。

<音楽を通して>
友として尊敬し、気の合う友人Tさんは、近くに住む私と同じピアノ教師です。
仕事を(レッスン)をしながら、音楽療法士の資格を取り、仲間3人と特別養護施設で患者さんとセッションしていました。その彼女がある日、私と一緒にいろいろなピアノ連弾の曲を練習したいと言ってきました。あの曲もこの曲もと次々と意欲的に取り組んでいた矢先に、彼女から「何だか最近背中が痛くて・・・」ということ聞いたその時からわずか数カ月で旅立ってしまいました。
「私ね、大変なんだよ、すごいんだよ。」膵臓がんであると病院で告げられたとのことでした。本当にあっという間でした。何をしてあげることができたでしょうか。
そして、友人を亡くすと言うことがこんなにも悲しいことだと初めて知りました。こんなに悲しいのに時間は普通に過ぎていく。朝が来て夜が来る、ご飯を食べて洗濯物を干している自分がいることに情けなさを感じていました。ただただ時間だけが自分のそばを通り過ぎて行く時、人は、寂しいと感じるのではないでしょうか。
 それからほどなくして、大岩先生が終末医療の『在宅緩和ケア診療所』を始められたことを知りました。Tさんがしていたことを、私にも人の為に何かできないかという思いで、考えに考えた末、思い切ってメールを送信しました。数日後、丁寧にお返事を頂き、お会いする日を決めていただきました。お約束の日に診療所に伺い、患者さんのために音楽で役に立つことをしたいという私の申し出を大岩先生はじめスタッフの方々は、静かに聞いてくださいました。
大岩先生は、「では、とにかくやってみましょう。コンサートは準備時間がなくてもすぐ出来ますか?」実はドキッとするご質問でした。この質問の意味は、患者さんには時間がないから、音楽会の日程に猶予がないということだったのです。大丈夫ですと即答している自分がいました。このようにして、患者さんのお宅に伺って行なう音楽会と、患者さんに会場にお出でいただく音楽会、この二つの形のコンサートが始まったのです。

<初めてのホームコンサート>
患者さんのお宅に伺って行なう音楽会を『ホームコンサート』と呼ぶようにしました。第一回目のホームコンサートは、正直一人で伺うのが心細く、友人のヴァイオリン奏者とKさんのお宅に伺いました。すでに大岩先生、スタッフの皆さんも到着しておりました。こちらのお宅には、お子様方小さいころ弾かれていたピアノが長いこと居間に眠ったままになっているとのことでしたので、事前に数年ぶりの調律を入れていただいていました。眠っていたピアノを呼び起こしたのです。音は綺麗によみがえり、ピアノと共にあったその家族の懐かしい日々が呼び起こされたのです。Kさんご夫婦とお友達の3人の前で、私たちは、奥様(患者さん)のリクエストの美空ひばり曲や、その他お持ちした曲をヴァイオリンとピアノで楽しく演奏させていただきました。最初は、ご夫婦の表情は、少し硬く部屋の空気も重たく感じられましたが、コンサートが進むにつれて、お二人ともお顔がだんだん和らいで明るくなっていくのがわかりました。これまで、病気のことで心が一杯で、夫婦二人でかわす会話は、重たいことばかりだったかもしれません。一つの部屋の中、家族と好きな曲を人の手で演奏されたものを楽しんだことで、一時でも楽しい会話を取り戻してもらえたら、伺って良かったとその意味を深く感じます。

コンサートも無事に終わり、Kさんのお宅を出て、帰り際に大岩先生とスタッフの方から、花束を頂きました。驚きです。これからいろいろな形で始まるコンサートの第一歩として、応援してくださるお気持ちを心からありがたく頂きました。この時のことは、今でも忘れることは出来ません。
              <プログラム=川の流れのように・エリーゼのために他>

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